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さくらんぼの会のベ−スは、会員がカラオケを歌って楽しむカラオケサ−クル。 |
しかし当初からボランティア活動への取組みを重視し、せせらぎに併設する高齢者介護施設でのカラオケ指導にあたってきました。 |
その回数は2008年3月現在で、180回にも及びます。さらに最近では、小さなカラオケセットを整えて、せせらぎ以外の場所にもボランティアに赴く活躍ぶり。 |
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でも何よりさくらんぼの会を有名しているのは、せせらぎで開催するジャズコンサ−トと毎年春秋に開催する合同交流演奏発表会。ジャズコンサ−トは、プロの演奏者がボランティアで参加し、毎回大入りの大盛況です。また合同交流演奏発表会は、地域の歌や踊りの団体が参加して、地域を代表する一大イベントに成長しています。 |
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このさくらんぼの会をつくり、運営するのが代表の石橋久夫さん。 |
さくらんぼの会のメンバ−の中には、石橋さんを慕い、また石橋さんを手伝うために会に参加してきた人がいるほど、石橋さんは人望があります。確かにボランティア活動のために労を惜しまず、加えて卓抜した調整能力の持ち主です。 |
昨年秋には、6回目となる合同交流演奏発表会が開催され、11団体数十名の方々が、多くの観客を前に日頃鍛えた歌や踊りを披露しました。しかしこれだけの規模になると、会場の確保や参加団体、参加者の調整は並大抵のことではありません。まさに人望と指導力に優れる石橋さんだからこそ出来る偉業です。 |
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また親分肌で面倒見の良い石橋さんは、他のボランティア団体の方々からも頼りにされています。 |
ボランティア団体の運営やイベントの実施などに際して、石橋さんに相談する人は少なくありません。とりわけここ数年急増しているカラオケサ−クルの立ち上げに際しては、石橋さんやさくらんぼの会のメンバ−が指導にあたることも珍しくありません。 |
このように石橋さんは、今やこの地域を代表するボランテンティアリ−ダ−の一人として、コミュニティ−活動に従事する人たちの間では、ちょっと有名な存在になっています。 |
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さくらんぼの会主催「歌謡曲祭り」につめかける地域の人たちと高齢者
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●さくらんぼの会の創設
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石橋さんは当初1人でボランティアセンタ−に人材登録し、ボランティア活動に従事していました。今でもさくらんぼの会の活動のかたわら、依頼があれば障害者や高齢者や子供たちに対するボランティア活動に出向きます。気難しい依頼者であっても、その人の心を掴むのがうまく、石橋さんでないとダメだと指名が来るほどの人気ぶりです。
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そんな石橋さんが、さくらんぼの会をつくった経緯は、せせらぎのラウンジで開催されていた演奏会。確かに演奏は素晴らしいのですが、集まった人たちは、ただ聴くだけで参加することができません。会場に来ていた介護施設のお年寄りたちが、音楽を口ずさむのを見て、いっしょに歌えたらもっと楽しく、健康にも良いだろうと思い、石橋さんはカラオケ支援のさくらんぼの会をつくりました。お年寄りにも見易くつくった歌詞カ−ドを準備するなど工夫を重ね、今ではみんなで一緒に歌うカラオケは、介護施設を利用する高齢者の方々の大きな楽しみとなっています。
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さくらんぼの会で介護施設の高齢者に歌唱指導する石橋さん
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●合同交流演奏発表会の経緯
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4年前に合同交流演奏発表会が誕生したのも、石橋さんの尽力です。当時すでに、カラオケや踊り等のサ−クルは多く誕生していましたが、みんなが集まって、一緒に発表する機会はありませんでした。そのため合同発表会のニ−ズは高まっていたのですが、その企画・運営の担い手がいません。そこで見兼ねてこの大変な仕事を買って出たのが、石橋さんとさくらんぼの会でした。
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このように時々のニ−ズに対応して、必要なボランティア活動を推進してきたのが、石橋さんとさくらんぼ会の歩みでした。
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石橋さんのボランティア活動の原点 −
沖縄名護の城間朝徳さんとの出会い
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● ボランティア活動を知るきっかけ
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石橋さんがボランティア活動に出会ったのは、今から8年前のこと。当時人生に挫折した石橋さんは、傷心の思いで旅立ち、旅先の沖縄で自殺未遂を遂げてしまいます。幸い一命を取りとめた石橋さんは、入院先の名護の病院で、献身的にボランティア活動に従事していた城間朝徳さんに出会います。まだボランティアの言葉の意味も知らなかった石橋さんは、無償で他人のために働く城間さんの姿にショックを受けました。また城間さんは、悩んでいた石橋さんの相談にものり、石橋さんが病院を退院し、内地に帰るための段取りも整えてくれました。城間さんは、石橋さんが立ち直るきかっけ与え、まさに石橋さんにとっての命の恩人となった人だったのです。
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こうして城間さんに出会って東京に戻った石橋さんは、それまでの人生観を変えて、自らもボランティア活動に従事するようになったのです。
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● 城間さんと名護市へのメッセ−ジ
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最近ようやくのことで恩人である城間さんに会うために、沖縄に行く機会をもてた石橋さん。念願かなって、8年ぶりに城間さんに会うことが出来ました。城間さんはすでにボランティア活動の一線からは退き、畑仕事と孫の世話で、静かな生活を過ごしていらっしゃいました。しかし周囲では、城間さんのボランティアとしての経験と能力を惜しむ声も。今後名護市は、米軍の普天間基地移転問題等を抱え、様々な課題に対処していかなければなりません。そんな時、市民ボランティアの役割もきっと重要になってくるはずです。城間さん自身も、けっしてボランティア活動に対する意欲が衰えたわけではありません。
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石橋さんは、自分自身の東京でのボランティア経験を踏まえ、今後名護において、多くのボランティア活動の担い手を育成していく必要があるのではないかと考えています。その際、城間さんの知識と経験は重要で、今度は城間さんが、1ヶ月に1度でよいからボランティアの育成員として、後進の指導にあたる仕組みができればと希望しています。内地の石橋さんは今、城間さんと名護の人たちに、こうした仕組みが実現するようにとエ−ルを送っています。
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今年で75歳になる石橋さん。以上のように地域のボランティア活動の牽引役となり、また地域活動を担う人たちの良き相談役ともなっています。高齢化社会を担うボランティアの代表として、今後一層活躍されるとともに、石橋さんを手本に、多くのボランティアリ−ダ−が地域に生みだれることを、期待いたします。
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